名人になって by 手塚博久
 
 

  「名人! なんという重厚な、しかもさわやかな響きをもっている言葉でしょう。
   名人 の語源は、織田信長が日海 (囲碁と将棋両方の達人)に『汝は名人なり』といったこと に始まります。
  (中略)
  『名人』という称号、日本だけのもので、『ワールドチャンピオン』にも『グランド マスター』にもない郷愁が感じられます。」

                             (長谷川五郎著 講談社刊、オセロ百戦百勝 -勝つための技術- より)
 
 

JBLのオープンクラスのタイトルは全部で5つ。その中でも、半年の例会マッチを経てリーグ入りし、さらに半年間のリーグ戦(25ptマッチ)をこなすことで代表を選出、その代表者間でタイトル が争われるロングランマッチとなっているのが、今回行われた名人戦である。国内海外問わず、 数日から一週間程度の期間にまとめて対局を行うトーナメントスタイルが主流である中、将棋や囲碁といった日本固有の文化の影響と、耐久性に重きを置く日本古来の価値観とが融合した、ストイックなシステムということができる。

私自身は東京地区で三度この名人リーグを経験し、三度目の正直でリーグを通過することができた。以下がその経緯である。
○2001年 名人戦東京リーグ
 初参加も3勝5敗の負け越し。壁は厚い。。。
○2002年 名人戦東京リーグ
 5勝3敗で三人(西川氏、望月氏、私)が並び、二枠を巡ってプレーオフ。
 一度目のプレーオフで三者1勝1敗となり再度プレーオフ。
 二度目のプレーオフで連敗し脱落。
 失意のどん底。代表権に手が届いていただけに反動もまた大きかった。
○2003年 名人戦東京リーグ
 昨年惜しいところで代表権を逃したため、今期は心中期するものがあった。
 5勝1敗の好調から連敗したが、最終戦(那須戦)を執念で勝ちきり、6勝3敗での代表権獲得。BEST8入りとなる。

本番前に一叩きと、きんちゃんカップに参加するも惨敗。その悔しさをバネにGW後半三連休の 名人戦決勝トーナメントを迎えた。

○5/3(土)
準々決勝の相手は、名古屋の山本潤氏を倒して勝ちあがってきた九州の江口氏。聞けば、ネット出身で生ギャモンを初めて半年とのことで、全国的にはまだ知られていない。プレイスタイルは対戦してからでないとわからないということか。        

対局は江口氏の比較的早目のダブルが決まり、序盤で1-6のビハインドとなる。以降小刻みに差を縮め(ダブルパスの1点ゲームがやたら多かった)中盤で13-13の同点となる。その後やはり小刻みにポイントを加え23-18に。クロフォードゲームをしのがれて24-21まで粘られるが、 次のゲームを勝ちきることができた。 対戦してみて感じたのは、ムーブがしっかりしているということ。2月の熊本オープンで出会った宇藤氏にも才能を感じたが、江口氏もまた九州地区期待の逸材であり、いずれ全国規模の大会で上位入賞してくるであろうと感じさせられた。

私の準決勝の相手は、下平氏。
昨年の王位戦以降、参加する国内のビッグトーナメントのほとんどで決勝進出を果たしており、 極めて安定した実力を見せつけている。
2002. 5 王位戦 優勝
2002. 5 大阪オープン 準優勝
2002. 9 盤聖戦東京リーグ二位通過
2002.10 ギャモンフェスティバル
(スタッフにつき不参加)
2002.11 盤聖戦決勝トーナメント BEST8
2003. 2 熊本オープン 準優勝
2003. 3 大阪オープン 準優勝
今期名人東京リーグも、8勝1敗という信じがたい成績でぶっちぎりの一位通過を決めており、 優勝候補の筆頭格であろう。決勝トーナメント表を見たときには、正直言って決勝であたる山が良かったなどと考えもした。しかし一方、こういう大きなところで最強豪と対戦できるのが嬉し くもあった。
翌日早朝の対局のため、夜更かしせずに帰宅する。

○5/4(日)
少し早めに到着し、下平氏を待つ。外崎君と1ptマッチをしていたら下平さんから電話が入る。
「いま神保町。ちょっと遅れるから、クロック押しといて」
予定時刻を十数分過ぎて下平さん登場。いよいよ開始である。

1ゲーム目で下平さんからのダブルをテイクしたところあっさり逆転、リダブルテイク後1ロール差で勝ち切る。これが快進撃の始まりであった。
2ゲーム目は私からのダブルテイクで、勝ち。
3ゲーム目はやはり私からのダブルテイクで、そのままギャモン勝ち。
4ゲーム目は、下平さんからのダブルをテイクして逆転、そのままリダブルせずにギャモン勝ち。
この時点で14-0とリード、出目の勢いに差がありすぎる。
以降18-2とリードを広げた後、優勢ゲームを二つ落とすなどして22-8まで粘られるが、そこでダブルギャモン勝ち、終わってみれば25-8のトリプルスコアでの勝利となった。ついに決勝進出。う・れ・し・いーーー

昼前に対局が終わったため、正午より行われる王位戦へのエントリーも考える。数年前に山口昌宏氏が達成した名人・王位の同時二冠の偉業に挑戦することも魅力に思えたが、自分はここ数年名人戦を目標に頑張ってきたのだということを再確認し、そのまま会場を後にすることに。午後暇になったので、シビックセンター近くにオープンしたラクーアを見物したり、マヤ文明展に行ったり(混んでいて入れなかった)する。当日は夏日で過剰に暑かったので、早めに地元 (吉祥寺)に戻り、お茶や買い物などをしているうちに一日が過ぎていった。

○5/5(祝)
会場に到着すると、決勝の対戦相手は、北海道の山本雅人氏に決まっていた。山本氏は山口氏、 永井一矢氏といった強豪をダブルスコア以上の大差で下し、準決勝に至っては、名人戦二連覇中で25ptマッチの鬼と言われる皆上名人を、19-17のスコアからなんとダブルバックギャモンで 破っての決勝進出である。
山本氏とは、同年齢であること、また分野こそ違え同じ工学系の研究者ということもあり、親しくさせて頂いている。無礼講(?)のギャモン界にあって、私が年賀状のやり取りをしている数少ないプレーヤーである(もう一人は大阪のChan)。私が5年前にギャモン界に入ったとき既に国内トッププレーヤーであり、ジャパンオープン決勝において、下平氏との接戦を6ゾロ、3ゾロで振り切った熱いマッチは、今でも記憶に残っている。

以下決勝戦を、私から見たポイントとポジションを中心に述べる。 序盤は取ったり取られたりの小刻みの展開で、4-5となる。ここから山本さんが波に乗り、ダブルギャモン、ダブル勝ちで4-11と7ポイントのビハインドに。その後8-12と少し差を縮めた迎えたゲームで以下のポジションが発生。

1. Double, pass 1.000
2. No double 0.995
3.* Double, take 1.412
Proper cube action: Double, pass

2ptスタックアンカーの不利なポジションであるにも拘らず、ついテイクしてしまう。 このゲームをギャモンで落とし、8-16のダブルスコアに。かなりの劣勢である。2点ずつ取り合って10-18になったところから、今度は流れが私に傾き、17-18まで追いすがる。
その後再度突き放されて、19-22になったゲームで以下のポジションとなる。

1. 13/7 Eq.: 0.657

5プラを維持してブロットを残したところ、ヒット&カバーされる。

1. 13/12* 7/4 Eq.: 0.009

半ば観念しかけたところで、出た目はなんと1ゾロ!

1. bar/24 15/13*/12* Eq.: 1.004

起死回生で1点を取ることができ、結果的にこのロールが勝負に大きな綾を生むことになる。そして20-22で迎えた次のゲーム、このゲームが私にとって生涯忘れられないゲームとなった。

ゲームはピップリードからホールディングゲームとなり、相手のブロットをヒット、ダンスしたところで以下のポジションを迎える。

Double or not?
Take or pass?

1.* Double, take 0.698
2. No double 0.508
3. Double, pass 1.000
Proper cube action: Double, take

ポイントビハインドであること、8,9カバーでマーケットを失うこと、多少ギャモンも見込めることから、実戦ではここで念を込めてダブル。パスしてくれたらそれはそれでよしと思っていたが、山本さんは当然テイク。その後8,9が出ずカバーできなかったものの、山本さんが何度もダンスしている間にベアインからベアオフへ。結局ダブルギャモンを取ることが出来た。クロフォードゲームを、序盤以来のリードで迎えることとなった。
クロフォードゲームは優勢のまま終盤を迎え、以下の41ロールでかなり長考したが(あとで調べたらどれも大差なし)、ブロットが発生せずそのまま勝ち切ることができた。

1.* 4/off 4/3 Eq.: 0.922
2. 5/off Eq.: 0.921
3. 6/2 6/5 Eq.: 0.910

思い起こせば、JBLのタイトルは5年前に日本選手権の初級戦で優勝して以来になる(MSOやチャレンジカップは除く)。
また(冒頭に挙げたように)”名人”という響きに小さい頃から愛着があり、憧れの”名人” 獲得という意味では、オセロに次いで二つ目となった。
オセロの時は、圧倒的な強さを誇った当時の名人(七冠時代の羽生さんくらい強かった天才プレーヤー)を相手に、まず勝てないとの下馬評の中で運良く獲得できたのに対し、ギャモンでは数年前から一部の親しい人々に「絶対に名人を獲る!」と言い続けて勝ち取れたもので、また違った深い感慨があります。

ギャモンデビュー時に初級戦で優勝できた時は、ギャモンの面白さを教えてくれた林昌昭氏に感謝したと記憶している。
今回の名人位について言えば、性格的に自分には向いていないと愚痴り、やめてしまおうかと何度も思ったときこの世界に引き戻してくれた景山氏、決勝戦に観戦に来てくれた市川氏、そして念願の名人獲得を我がことのように喜び、祝って下さった麻見氏に感謝したい。オセロの名人であった頃から10年の歳月が流れ、私の人生の中でも一つの大きな夢がかないました。10年後、今度は何の名人を目指して精進しようか。

いやいや、10年たってもギャモンの名人でい続けたいものである(強欲)。。。


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